「事業を考える」ということ

仕事を考える

もし新規事業を立ち上げるとしたら、何から考え始めるべきだろうか。

ビジネスモデル、競合との差別化、あるいは、収益構造や資金調達かもしれない。だが、本当に重要なのはもっと単純なところにある。最初に深く考えるべきことは「事業の核」となる問いである。

難しいことを列挙するが、肝心な部分が抜け落ちている提案は少なくない。上場企業からベンチャー役員まで、自分のサラリーマン経験の中で学んだ「事業」の要点をまとめたいと思う。


最低限答えるべき3つの問い

事業戦略を考える際、真っ先に取り組むべきは「顧客(市場)」と「自社」のエネルギーがどのように循環するかを見極めることだ。収支計画から思考を始める人もいるが、それでは事業の本質を見失いかねない。事業とは一方通行ではない。顧客に価値を提供し、その対価を受け取る。この循環構造こそが、事業の生命線である。

このエネルギー循環を具体的に掘り下げるためには、「誰に?」「何を?」「どのように?」の3つの問いに答える必要がある。

誰に(WHO)

まず考えるべきは、「誰に価値を届けるのか」だ。

すでに物やサービスは溢れている。人々の生活も多様化し、求めるものの多様性は無限に広がると言ってもいい。その中で全員を満足させる商品を作るのは至難だ。まずはターゲットを絞る。それが出発点である。

ターゲット顧客を見極める8つのステップ

ターゲットを絞り込む際、自分が実際に使ってきた8ステップがある。

  1. 市場全体の規模と成長率を調査する
  2. PEST(政治、経済、社会・文化、技術)の要因を整理する
  3. リスク要因を洗い出す
  4. 市場構造や競争環境を分析する(5 Forcesなど)
  5. 顧客をセグメントに分ける軸を設定する
  6. 各セグメントのシェアや成長率を確認する
  7. 自社が注力すべき広義のターゲット(Strategic Target)を決定する
  8. 特にリソースを集中させる顧客層(Prime Prospect)を明確にする

この手順は、あらかじめ事業アイディアがあることを前提にしている。企業内で新規事業を考える際、何もない状態からスタートすることはほとんどない。たとえば、オンライン通話の市場やインフルエンサーマーケティングに着目している、といった大まかな方向性が最初にあるものだ。これらの手順を通して、漠然としたアイディアを具体的にする。

市場調査の重要性

ステップ1から4までは、市場の全体像を把握するための調査フェーズだ。今の時代、インターネットには膨大な情報が溢れている。例えば、「インフルエンサーマーケティング 市場規模」と検索すれば、2022年の市場規模が500億円だったことがすぐにわかる。

しかし、ネット調査には限界もある。表面的なデータで終わりがちで、深い洞察を得るのは難しい。必要に応じて専門家へのインタビューや顧客アンケートを取り入れるべきだ。具体的な情報に触れることで、分析の質は格段に上がる。

セグメンテーションの考え方

セグメント化の作業(ステップ5)は、収集したデータをもとに、自らの発想を加える段階だ。一般的に、顧客セグメントは以下の3つの要素で分類される。

  • デモグラフィックス: 性別、年齢、職業、所得など基本的な情報を基に分類する。最も頻繁に使われる手法である。
  • ジオグラフィックス: 居住地域の特性(気候、文化、都市の発展度など)に注目する方法。グローバル展開を考える際に有効だ。
  • サイコグラフィックス: 顧客の趣味嗜好、価値観、購買動機など、心理的な側面を分析する。特に選択肢が多い市場では、この手法が効果を発揮する。

たとえば、アウトドアブランドの「パタゴニア」はサイコグラフィックスを巧みに活用している。地球環境を救うという理念に共感する消費者を引き寄せ、強力な支持基盤を築いている。安価で高機能な衣服が市場に溢れている中で、このような情緒的価値を打ち出す戦略は有効だ。

顧客を絞り込む勇気

セグメント化が終わったら、次は狙うべき顧客を明確に定める。ここで重要なのは、絞り込むことと切り捨てることだ。「顧客を切り捨てる」と聞くとネガティブに感じるかもしれないが、欲張ってあれこれ手を出せば、誰の心にも響かない事業となってしまう。

多くのビジネス書で「ターゲットを絞れ」と説かれているが、現場で実行に移す際にこの「切り捨てる」という部分が不十分なケースが多い。絞り込む勇気を持つことで、ターゲット像がくっきりと浮かび上がる。そして、それこそが顧客に深く刺さるサービスを生む鍵となる。

ロイヤル顧客への集中

最終段階として、絞り込んだ顧客の中でも、特に重要な見込み客(Prime Prospect)を特定する。これがいわゆるロイヤル顧客であり、事業の収益の大部分を支える存在だ。実際、ある事業では10%の顧客が売上の80%を占めていたことがある。こうした顧客を見極め、リソースを集中投下することは、合理的な選択だろう。

ロイヤル顧客を選ぶ際のポイントは次の通りだ。

  • 購買頻度が高い顧客
  • 購買金額が大きい顧客
  • 資産の中で多くの時間と金を割いてくれる顧客

このような顧客を狙い撃ちすることで、事業の基盤が安定することがある。

ただし、市場を絞り込んだ上に、ロイヤル顧客へ過度に集中することが裏目にでることもある。『ブランディングの科学』で示された調査によれば、ロイヤル顧客が占める売上シェアは市場によって大きくブレる。実際は上位20%の顧客の売上シェアは60%程度の市場も少なくない。そのような構造を持つ市場でライトユーザーへの施策を怠ると顧客基盤がやせ細り、やがて事業がつぶれることもある。自分たちのビジネスがどのような市場構造を持つのか、データを元に観察することが欠かせない。

何を提供するのか(WHAT)

「誰に?」が見えたら、次に考えるべきは「何を提供するのか?」だ。

多くの場合、新規事業の立ち上げでは、全くゼロから商品やサービスを考えるわけではない。おおよその方向性やアイディアが最初にあるものだ。だからこそ重要なのは、そのアイディアをどのように磨き上げ、顧客に響く形に仕上げるかという点だ。

顧客に提供する価値を定義する

ここでの焦点は「どんな商品やサービスを作るか」ではない。「顧客にどんな価値を提供するのか」だ。価値を考える際には、次の2つの視点を取り入れると分かりやすい。

  1. 機能的価値
  2. 情緒的価値

機能的価値

機能的価値とは、その商品やサービスが提供する具体的な機能や性能の高さを指す。例えば、「10時間かけていた報告書作成を1クリックで完了させるBIツール」や「吸引力が落ちない掃除機」などは、機能的価値を強く打ち出している。

この種の価値は、特にB2B領域で重視される。効率性、正確性、信頼性を求める顧客に対して、具体的な解決策を提示することで、圧倒的な差別化を実現する。

情緒的価値

一方で、情緒的価値とは、顧客の心や感情に響く価値を指す。例えば、モンブランの万年筆やルイヴィトンのバッグはその代表例だ。それらの商品は単なる道具ではない。それを所有することで得られる「成功者としての優越感」や「他者への表現」が、顧客の心を動かしている。

特にB2C領域では、この情緒的価値が事業の成否を分けることが多い。消費者は、商品そのものではなく、それがもたらす感覚や体験に価値を見出す。

機能と情緒、どちらを重視すべきか

機能的価値と情緒的価値のどちらを重視するかは、事業の性質や顧客層によって異なる。例えば、効率化を求めるビジネスユースでは機能的価値が重要視される。一方で、ブランドイメージが購入動機の大半を占める消費財では情緒的価値が鍵を握る。

しかし、どちらを選ぶにせよ、顧客がその価値を求めているかどうかが全てだ。ターゲット顧客の心理やニーズを正確に把握し、その上で自社の提供する価値を磨き込む必要がある。

価値を明確にする方法

「WHAT」を考える際、以下のアプローチが役に立つ。

  • 競合商品を実際に試し、満足点と不満点を書き出す
  • ターゲット顧客に該当する人へ直接インタビューを行う
  • 顧客アンケートを実施し、数値データを得る
  • 専門家インタビューやスポットコンサルティングを活用する

これらの手法は単純に思えるが、実際に取り組んでいる企業は少ないように思う。新規事業が大事だと考えるなら、最初の調査に十分なリソースを割くべきだ。しっかりとした調査がなければ、価値の本質に迫ることはできない。

どのように提供するか(HOW)

最後に考えるべきは、「どのように顧客に価値を届けるか」だ。この段階では、全てを具体的に詰めていく。マーケティングミックス(4P)というフレームワークを活用すると、考えを整理しやすい。


Product(商品・サービス)

自社の価値を具体的な形に落とし込んだものが商品やサービスである。例えば、かつてのAppleは「クリエイターに創造性をサポートする価値」を提供するため、直感的な操作性と優れたデザインを持つMacintoshを作り上げた。

Price(価格)

価格は、提供する価値を反映させるだけでなく、顧客にとっての信号でもある。安さを売りにするのか、それともプレミアム感を前面に押し出すのか。価格設定は単なる数字の問題ではなく、事業のポジショニングそのものだ。

自分の経験では価値の磨き込みを怠り、ポイント還元やクーポンなど、値下げ施策に走る事例を多く見てきた。しかし、ABテストなどで施策の効果を見てみると、利益を減らすものがほとんどだった。競争のために価格を下げるのは簡単に思いつくアイディアだが、明確な目的がない値下げは失敗に終わることが多い。

Place(流通経路)

顧客が商品やサービスにアクセスする手段を指す。オンラインならば、Webサイト、アプリ、プラットフォームなどが考えられる。すでに多くのユーザーがいるプラットフォームは集客しやすい反面、手数料が高かったりする。収益性を計算して、自社にあった流通経路を選定することで、収益を拡大できる。

Promotion(プロモーション)

認知されなければ、いかに優れた商品であろうとも意味がない。『戦略ごっこ』では、新規事業の成功率は千ミツと言われるが、実際はあまりにも認知を広げる投資をしなかったがために、本来は可能性のある事業の芽を潰しているのではないかと書かれている。

B2B領域であれば、AIDMAやAISASといったモデルを参考に、顧客の購買行動を分析し、プロモーション戦略を立てられるかもしれない。一方で低価のB2C市場であれば、ユーザーのニーズが生じる瞬間(CEP:カテゴリー・エントリー・ポイント)を見極めて、広告を打つなどの取り組みが考えられる。

その他の重要なポイント

事業の中核となるのは「誰に」「何を」「どのように」という3つの問いだが、新規事業の成功にはこれ以外にも考慮すべき点がいくつかある。

収支計画の重要性

事業を計画する上で、収支計画は基本中の基本だ。しかし、この基本ができていない提案は意外と多い。例えば、原価率が80%、その他の変動費が19%というビジネスモデルで、「売上を伸ばせば黒字化する」と主張されたことがある。思わず「どれだけ巨大な市場を想定しているんだ」と突っ込みたくなったものだ。

収支計画では、売上目標、原価、広告費、人件費、管理費といった基本項目を丁寧に算出するだけでなく、それらの数字を別の角度から検証する必要がある。特に「ユニットエコノミクス(1単位あたりの経済性)」を確認することが肝心だ。

売上100円を得るために110円のコストがかかるようでは、売上を伸ばすほど赤字が拡大する。たとえAmazonやSoftbankのように赤字を抱えながら成長した企業の例を挙げられたとしても、それを真似できるビジネスモデルは一握りだ。事業は、まず利益を上げられる設計にした方がいい。

キャッシュフローの管理

初期投資が多い事業や在庫を伴うビジネスでは、収支計画に加えてキャッシュフローの管理が極めて重要になる。かつて不動産投資事業を手掛けていた際、3~5年後の売上目標から逆算して、月ごとのキャッシュフローをシミュレーションしていた。

PL(損益計算書)上では黒字でも、BS(貸借対照表)上で現預金が在庫に変わり、日々の支出を支えられなくなるケースを何度も目にしてきた。こういった状況を放置すれば、黒字倒産に至るリスクが高まる。キャッシュマネジメントは、特に在庫ビジネスや投資ビジネスにおいて、事業の生命線と言える。

事業の目的を考えるべきか?

新規事業を立ち上げる際に「最初に事業の目的を決めるべきだ」と言われることがある。この意見に完全に反対するつもりはないが、あまり拘りすぎるべきでもない。

目的を考えることは、どこか「自分探しの旅」に似ている。明確な答えがないまま思い悩むのは時間の無駄だ。それよりも、市場を調査し、ターゲット顧客について理解を深める中で「この人たちの課題を解決したい」「この喜びを増やしたい」といった欲求が自然と湧き上がってくることが多い。それが結果的に事業の目的になる。

直感的に「これだ!」と思えるものがない場合は、目的を後回しにして「誰に?」の問いから始めるのが現実的だ。


新規事業を立ち上げる際に重要なのは、複雑な理論や要素を積み上げることではない。すべての基盤はシンプルな問いに集約される。「誰に価値を提供するのか」「どんな価値を届けるのか」「どのようにそれを実現するのか」。これら3つの問いに対して、徹底的に深掘りし、具体化することが事業成功の鍵となる。

さらに、収支計画やキャッシュフローの管理といった数字の裏付け、顧客を絞り込む決断、そして綿密な調査と分析が、事業の地盤を固める。最初からすべてを完璧に決めようとする必要はないが、柔軟性を持ちながらも、価値の核となる部分に対して揺るぎない軸を持つべきだ。

事業を考える際には、常に「シンプルさ」と「本質」に立ち返ることが肝要である。余計な装飾をそぎ落とし、誰のための事業なのか、その事業が何を実現するのかを問い続ける。そうすれば、迷いがちな道のりも自然と進むべき方向が見えてくるだろう。